勝手レビュー!「わたしと小鳥と鈴と」の可愛いポイントを激説

08/04/2020

大好きで暗唱している
「わたしと小鳥と鈴と」

小学生のとき運動場で
校長先生の朗読が最初の出会い

当時は何も響きませんでした。

しかし、時は流れて十数年…
社会人となり人生に迷う暗闇のなか

「とっても優しくて可愛い歌だなぁ」と
すぅっとカラダに入ってきました。
こういう、時差があってから初めて「腑に落ちる」ってこと、ないですか?わたしは結構あります。

 

わたしと小鳥と鈴と

わたしが両手を 広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない

わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ

鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい

 

「みんな違ってみんないい。」
「世界に一つだけの花」もそうですが、メッセージとしてはたまに見かけることがあります。でも、何年もずっとこの詩(うた)は愛されてきました。

それには、何か訳があると思うのです。
そしてこの詩(うた)の場合、世界感を壊さない可愛らしい言葉の選択と持つリズムの良さが組み合わさって、人に響く詩になっているのかなぁと思います。

ステキだなぁと思う魅力すべてを伝え切ることはできませんが、この詩の魅力、可愛いポイントを2回に分けて伝えてみようと思います。

勝手レビュー!わたしと小鳥と鈴との可愛いポイント

勝手レビュー!
今回は1回め!

わたしと小鳥と鈴と、の可愛いポイント&素敵ポイントを解説していきます!
細かく書くと大量になるので、いくつかカイツマンデ書いてみます。どうかどうか、伝わりますように。

お空はちっとも飛べないが

詩の2行目。
「わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが」の部分です。

ここ、「ちっとも」という言葉のチョイスがかなりの重要かと!
「ちっとも」以外の言葉だったらこの詩の魅力は激減、きっと今まで語り継がれていないことでしょう…

□もしも「ちっとも」以外の言葉だったら

歴史に「もしも」はないといい。
だけれど仮に、「ちっとも」ではなくこんな表現だったとしたら…

・少しも飛べない
・全然飛べない
・全く飛べない
・いっこうに飛べそうにない
・I can’t fly

一気に現実世界に急降下。
この詩の可愛い世界感が崩壊してしまうことでしょう。

「”ちっとも”飛べない」と言われたら、ちょっと可愛い。
いじけてる小さな女の子に、「そうだよね」って、耳を傾けてあげたくなります。(「っ」という撥音(はつおん)による幼児性にも原因はある?

□比較対象が人間ではない

そもそも、私・小鳥・鈴=人類・鳥類・モノ。
違うの当たり前すぎるんです。大きさも、種も、ましてや生き物かどうかさえも違っている訳です。「みんな違って」って、違うのは当たり前です。鈴とか、なんか生き物じゃないし。

もはや比較対象が人間じゃないんです。

間違いないんです。
冷静に考えたら、こんなに違うものを比べているんです。どうしてわざわざ詩にまでして訴える必要があるのでしょうか。

■比べる対象おかしくないですか?

とりあえず、比較対象に現実味がない。
違っていて当たり前なものと比べています。

比べるなら、クラスのお金持ちで美人で頭いいお嬢様とか、スポーツ万能イケメン男子とかなら分かります。でも、子どもでも分かるようなものと比べていれば、まだ同感できるものを…。

…と責められてしまったら、この詩の世界感はまる崩れ。
なのに、この詩が頭のいい(カタイ?)大人にもウケる理由。

それは、この詩が持っているファンタジー性にあるんじゃないかと思っています。どこか物語のような、100%現実空間にいないような世界感。お伽話のような雰囲気があるからこそ、呆れるような違いのある比較対象でもスーッとカラダに入ってくるのではないでしょうか。

 

■ほどよい「お伽話」な世界感だからこそ。

かなり非・現実的な舞台設定なのに、素直にことばを受け止められるというのは、程よいファンタジー感を演出してくれる、細やかなことばの選択があるからなんです。

ここでは、「ちっとも」のような可愛いことばが、絶対に必要なのです。
「全然」「全く」「少しも」などの現実味のあることばだったら、一気に現実世界に連れ戻されて、詩の世界感が成り立たなくなってしまうのではないでしょうか。

 

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↑数年前に行ったラップランド

たくさんな歌は知らないよ

一見、普通に思う表現かもしれません。
でも、「たくさん」と「な」の組み合わせがひっじょーーに重要でして。

 

■「たくさん」を解説

ここも、他の表現で書かれていたら。
私だったらこう思ってしまいます。

・沢山のうたは→まぁ普通、あたりまえだよね。
・大量のうたは→は?「大量」?可愛さゼロだし。ここまでのイメージブチ壊れ。
・多くのうたは→頭カタイ人ですか?
・いっぱいのうたは→ちょっと幼稚すぎる気が…
・有り余る程のうたは→表現方法、なんか賢いな…

どれも、詩の世界感を崩してしまいます。
ちょっとファンタジー&非現実な世界感がなくなるので感情移入できなくなりそう。

 

■「な」を解説

一般的には「沢山の」という表現の方がよく使われていますよね。
「沢山な」ではなくて「沢山の」の方が日常でよく使われています。

でも、たくさん「な」の方が柔らかい響きがしませんか?
響きのイメージの問題です。青より赤の方が温かく見えるのと同じ感覚で耳を澄ませてみましょう。
※母音が与える響きの違い。母音というのは、「のぉー」「なぁー」と言葉を伸ばした時に「ぉー」とか「ぁー」とか出てくる小さい文字で書いた部分のことです。

「お」よりも「あ」の方が優しく聴こえる気がします。

沢山「の」の母音は「お」。
沢山「な」の母音は「あ」。
これを踏まえて、下記、ゆっくり声に出して読んでみてください。

たくさんなうたは 知らないよ
たくさんのうたは 知らないよ

いかがでしょうか?
「な」と「の」の音イメージの違い。

ここはもう、声に出して感じていただくしか無いのかな、と思います。感じる能力が問われる部分っ!!
(「たくさん」と「沢山」。漢字と平仮名によるイメージの違いは当たり前で基本すぎるので説明は省略しています。)

 

■「知らないよ」を解説

「たくさんな歌は」の次にくる「知らないよ」。
これも、最後に「よ」がついてるのがとっても可愛らしいのです。
例によって、最後が「よ」の表現じゃなかったら、私はこう思ってしまいます。

・知らない→なんかイキナリ意思強くないですか?断定されても…。
・知りません→はい……。(次に続かない)
・知らないです→わたしも知りません。
・知ったことか→もう投げやりだな…。
・知るわけがない→ひねくれてて可愛くない。

これでは、ここまでの世界感がバラバラと崩れてしまいます。
「よ」があることで、押し付けでなく&説明がましくなく言葉が入ってきて、「そうだね」って、優しく同意したくなるのではないでしょうか。

 

まだまだあります!可愛いポイント

この他にも、可愛いポイントはたくさんあります。

「お空」
空に「お」をつける時点で金子みすゞの世界感が始まっていますよね!
ここ、映画が始まる前にテーマ曲が流れる感じ、ワールド幕開けー!という感じ。

この他にも…

・「あの鳴る鈴は わたしのように」の語順とか修飾語
・「飛べる小鳥は わたしのように」の語順とか修飾語
・「ゆすっても」
・「それから」がある意味

等など…。
たくさんあって、この詩(うた)の可愛らしさ、風通しの良さが出来ています。
これ以上書くと長くなるので今日はここまで。

あ、次の記事では同じ「わたしと小鳥とすずと」のリズムの良さについて書いていきます。
※今日の記事も次の記事も、私が勝手に思っているだけのことなので悪しからず。特にリクエストも無いのですが、張り切って第二回目の解説もいってみまーす!

乞うご期待♡

 

■第二回目は下記です。
>>勝手レビュー!「わたしと小鳥と鈴と」のリズムの良さを伝えてみる

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