流れ橋と折れる傘と伊勢の遷宮。その底にあるもの

郵便局で ”折れる傘” が売られていました。
強風が来たら自ら折れることで、傘そのものが壊れることを防ぐ傘「ポキっと折れるんです」。

強風・突風に煽られたらポキっと簡単に折れますが、傘を閉じて開けば何事もなかったかのように再び使えます。
これ、自然への姿勢が、むかし国語の教科書で読んだ「流れ橋」に似ているなと、なんだか嬉しくなりました。

「流れ橋」というのは、洪水や川の水かさが増した時に、わざと橋板部分が流されるように作られた橋のこと。川の濁流に対抗するのではなく、あえて橋板を流すことで橋の全壊を防いでくれる仕組みの橋です。

流れ橋と折れる傘。

あえて自然に屈服することで本体の崩壊を避けている所。
絶対に壊れない頑丈さを求めないことで、結果としてより柔軟な強さを得られている所。よく似たアイデア。

自然は制するものではないし、制御できるものでもきっとない。一時的には制御できても、長い目で見たら制御することはできないものなのだと、私は思っています。
(それって感情も同じ。蓋をし続けたら、どこかに歪み、いつか何かの形で噴出あふれる。感情もきっと、自然なもののはず。制御するでなく、悲しみや怒りさえも豊かさ、なのかもしれません。)

すこし話が飛ぶ気がしますが、流れ橋と折れる傘には、伊勢の遷宮にも通じる価値観を感じます。

「モノはいずれ壊れる」が根底にあり、手をかけながら形を変えて、建て替え・補修を大前提として繋いでいくもの。ずっと同じものを維持する、堅牢さを持つ石造りの西洋の建築とは対象的。

良い悪いではありませんが、人と自然、制するではなく上に立つではなく、うまく付き合えたらな。。。