日焼け止めからはじまり、書き散らす※まじめ暗め注意

29/08/2020

iPhoneのNight Shiftはエンドレス。
スマホPC、光対策万全にして今日もお仕事。

美肌や美しさ、やっぱり永遠願うもの。

全成分をチェックして、1つ5,000円ほどのオーガニック日焼け止めを使い、日に何度かは塗り直し、サンバリアの日傘や帽子は必須、黒尽くめの女時代もありました(当然、紫外線錯乱剤)。

だけれど色んな角度から考え感じて。

(資本主義経済や、負けた側の葬り去られた歴史、利権で表にはでにくいし否定されがちなことや、”常識” は常にチカラあるものが作ってきた、遠回しにしか書きたくないようなこととか)。

今現在、肌に「日焼け止め」は塗っていません。

食べ物・睡眠・生活習慣、それら基本を徹底することで、できるだけ自然なものにすることと、帽子と自然栽培綿の手作り日除けマスクと帽子でどこまで美肌に挑戦できるだろうか。

だけれど年齢を重ねたら、住む場所が変わったら、考え方が変わったら、塗るかもしれません。諸行無常、自分だって変わるのだから保証はできない。。。。

 

肌老化の8割が紫外線だと言われている昨今。

世には真逆の情報が溢れている。
コレが正しいそれはウソ。

検索順位もお金で順位調整できる一面。だけれどそれは今に始まったことじゃない。世の”常識”、知識のベース、教科書をつくるときだって、お金は見えない背後の背後で幾重にも見えづらく強く絡まっている。

情報の出どころはどこ?

表面ではなく、一つ先ではなく、元を辿れ。大元の大元のこと、普通にしてたら分からないだろう。私だって知ったは氷山の一角、だけれどそれすら真実なのかは闇の中。

(エビデンス、それらだって人為的に作れてしまう。資金力や政治力があれば。まぁ、それいったら統計だって色んな思惑をいかにもそれっぽいグラフの奥に隠して発表できてしまう。単位は?計算方法は?なぜその期間?他と比べて?しかし知識ない分野なんてさらにさらに闇のなか)。

論文・研究の見えない出資者、研究だってお金も時間もかかる。非情なほどに資本主義。真実はとても見えづらい。国より法律より実質強そな多国籍企業。

それらを見抜くべきはずの直感は、ひとつだけを正解とされた ”教育” と、だれかにとって都合よく作られた”常識” と、自然から離れすぎた食生活で曇りに曇ってしまった。

(今の教育、とても”まじめ”に真に受けていたら、まじめな人ほど死にたくなるのは、とても当たり前なことな気もする)。

 

だけれど私の行動や判断基準だってそう。トマトが美肌によいと聞き、トマトが好きになった。

情報を、食べている。
(野生的な感覚はどこへ

 

話はどんどんと流れていく。
1人の現代女性として、きれいな肌を保ちたいと日焼け止めについてアレコレ調べて人体実験。。。

 

。。。

「日除け」という概念はいつからあった?
思うにきっとそれは、暑い太陽光と人間がいた頃から。春のあたたかな日差しは待ち焦がれるけれども、灼熱太陽は肌をジリジリ。

古代時代。
日差しの強い日には樹木の下や洞窟の中がで日除けをして涼を得ていたのは十二分に考えられる。

王様や権力者の頭上に日傘のようなものを家来と思しき人がさしている古代エジプトや古い中国の絵もありました。

アフリカのとある種族の女性は頭部と黒い布で覆い、子どもは日除けのためにひょうたんのヘルメットと泥を使うのだとか。

他の民族でも泥や赤土、石灰を体に塗る文化が見られるのはきっと、砂漠地帯で強い日差しから避ける意味合いがあったはず。

有名なところでは、黒い布で顔を負うヒジャブとかヒマール、ニカブと呼ばれるもの(その地ではヒジャブがFoever21とかでも売っているとか)。アフガニスタンのブルカも有名、暑い夏の日には真似したくなる。日焼け止めなしで肌やけなそう。。。

しかしこれらは美肌というより、強すぎる日差しから肌を「守る」意味での使われ方だ、方向性…(日差し弱い北欧等ではこういう文化は発達せずに、逆に日照時間が短いと積極的に日光浴する文化が生まれたり、あぁ、プラスもちろん宗教的な理由もそれぞれあるかもですが)。

。。。

話がずれすぎ、暗すぎですが、軌道修正もせず日焼け止めに関して思うは(しかし何事もひとつのことを深堀りふかぼりすれば、法律政治、宗教哲学、関わることは多岐に渡るのではないだろか。現代社会、どこにだってほぼ歪あるから)。

家(地球)が足の踏み場もないほど荒れに荒れて崩壊寸前なのに、そんな荒れ果てたリアルに異臭漂うゴミ屋敷の中、もう割れて曇った鏡の中の自分の美しさばかり気にしてるみたいな

そんな感覚がすこし、芽生えたからです。

(しかし私はよく鏡をみて姿カタチを気にしている。見た目もおしゃれもそれなりにこだわるの好き。環境のことも、気にしない気づかない部分は多いはず。ダブルスタンダードとは私のことかもしれません)。

”一般的に”、”地球に優しい” とされていることすら突き詰めたら、全然優しくないこともあることに愕然。それすら利権構造の中に組み込まれていた。常識と正しさでくもった目では、いつまでたっても地球を汚す。

アシタカは「曇りなき眼で見定め、決める」といったけれど、何を曇っていると定義する?「曇りなき」と言っている時点でそれは、人間特有の定義づけ・常識付けの範中から出ないのでないか。正しさの基準が違うだけで、それすら人間が作ったものでは。常識で、定義で「正しい」とされていることすら、誰かの利益思惑いっぱいなこともあったりなかったり

。。。

生きるのに希望や楽しさは必要。
「利己的に生きる」それすらとても、生物として生命力があることなのかもしれない。

嘆き悲しみ生きるもまた、生物としては違うと思う。

 

※※※あと、非常に重要なことは!
※※むしろ本因こっち!!

→日焼け止めナシで食事や身体の仕組みを上手く使って(?)美しい方を知ったこともあるから。お菓子は本当、だいぶ欲しなくなったし、舌で添加物多いのは美味しくないと大体感じるようになりました。

美しさを諦めたわけではなく面舵いっぱい、方向転換!どこまでひとり人体実験できるだろうか、できる地球で、社会であってほしい。

 

全然更新してないのに、読んでくださる方がいてありがたいなぁと思います。

大きなことに考えを巡らせるばかりでも仕方ない。
(この文章、何言いたいかも分からない。矛盾並列表記)

だけれど日々を人生を楽しむこと。
その中でできることをしていくこと。

世には素敵な人もいるのだなぁと思います。

くらい、暗いところは無視するではなく、一度は直視するも
だけれど植物たちのように、明るい方へと向かって生きていきたいなぁと思います。