もしもピンポン玉がビンボン玉だったら。耳を澄ませば、みえてくるもの

歴史に「もし」はないといいますが。
もしもー

■もしも1
もしも、ピンポン玉が
ピンポン玉[pinpon]ではなく
ビンボン玉[binbon]と命名されていたら。

空気を含んでピンポンと、
可愛らしく軽く飛び跳ねるサマはまるでなく
 

一度鈍くバウンドしたが最後。
「人気(ひとけ)のないサビれた古アパートの奥底で、ホコリかぶって二度と出てこないで頂戴」状態になっていても、同情すらできなかったかもしれないと思うのです。

■もしも2
もしも。
ポケット[poketto]ではなく
ボゲッド[bogeddo]だったら

ダサすぎて、ファッションの一部としては、とっくの昔に葬り去られていたはず。

■もしも3
ピカチュウ[pikacyuu]が
ビガジュウ[bigajyuu]だったなら

もはや「ポケット」モンスターの域を超えてのリアルモンスター。
可愛らしさの欠片はなく、ゴジラよりも目を当てられないほど、ゴツゴツした怪獣のイメージさえ湧いてきます。 

 

「P(半濁点)」の音が持っている軽やかさ

◎そのポケットは偽物(ニセモノ)だ
◎ピカチュウとか、ポケモン覚えた事がある
◎コピペの寄せ集めでも、集め方と並べ方にそのヒトが出る

上記、すべての文章に半濁音を入れてみました。
※半濁音=パピプペポ[pa-pi-pu-pe-po]

パ行、半濁音、「P」の持つ独自の軽さ。
唇ではじく音だからなのか

そこだけ、音の ”重さ” が軽くなる。
体感。

 

「音」そのものが持っている響きと与えるイメージ

PA PI PU PE PO。
BA BI BU BE BO。

どちらが可愛いか、軽いか、軽快か。
口に出したら一目瞭然、訂。一耳瞭然。

パピプペポ。
バビブベボ。

「パクる」とか「コピペ」なんて、その行動の軽さによく合っている言葉だなぁと思います。

モーツァルトのオペラ「魔笛」には有名な「パパゲーノとパパゲーナのアリア」なんて曲がありますが、かなり軽くて仕方がない曲。
(最初なんて、もはや「パ・パ・パ」だけしか歌詞ないし。”クラシックは難しい”なんて枠がない子どもが見たら、笑っちゃうのでは、ないのかな。クラシックも、枠を外せば、たまに面白いネタ的な部分もあるのですよ。)

 

癌(ガン)だって、癌じゃなくて「ポン」という名前にしようと、著書の中で真面目に主張されている方もいるのは、撥音の持つ軽さから。

たしかに「ガンです」と言われたら
目の前が暗くなって、行く先を思いやられてしまい、まさに「ガーン」という展開になってしまいますよね。

でも、「ポンですよ」と言われたら。
「あぁーポンかー。仕方ないな、まぁ、適当に治すか」位な受け取り方になりそうな気も、しないでしょうか。(私だけ?)

 

スクリーンショット 2016-05-21 12.22.57

 

人は、目だけを使って生きている訳ではありません。
確かに、視覚情報は大きいかもしれません。

でもでも、振り返って現代。
それが、目だけに偏りすぎているのではないかとも、思うのです。

耳からのイメージ。
声の響きや言葉遣い。

「目よりも耳の方が騙せない、生命がそのまま声になるから」
声の仕事をされていたプロの方から、こんなコトを聞いたことがあります。

耳を、かたむける。
右から左へ流すだけでも面白いのかもしれません。

でも、音の楽しみ方、言葉の楽しみ方、選び方、遊び方は、もっともっとたくさんあるのではないでしょうか。

耳を澄ませばみえてくるもの。

きゃー!やばいっ!!
「耳を澄ませば」― 大好きなジブリのタイトルになってしまった!!
語りだしたら収集つかなくなるから、下記、言葉を言い変えます。

エネルギーを耳に注入して物事を感じてみれば
「見る」だけとはまた違った景色が聞こえてきます、感じられます。

ゆたかな生活、ゆたかな暮らし
豊かな五感を持っていること。

ほおって置けば、どこまでも五感を鈍感にできる今の社会だからこそ、自分のカラダに声に肌に体感に、どこまでもどこまでも耳を傾けていきたいと、思うのであります。

(個人的には第六感までトッキントキンに磨いていく気満載です。)