「聞き」分ける鼻と耳。見えないものは「聞く」ものなのかも。

香道では、香りを嗅ぐことを「聞く」という。
香道体験をした2年程前に知り、面白いなぁと印象に残っていました。

なぜ、香りを音と同じように「聞く」と表現するのだろうか…。ぼんやりと頭の片隅に置いていたら面白い本に出逢いました、能楽師・安田登さんの著書『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』。

なんでも、昔の中国では「嗅ぐ」を「聞く」と言っていたそうな。
実際、すこしグーグル先生に聞いてみると、中国語には「嗅ぐ」や「香り」を意味する漢字「闻」があるようです(門構えと思しき形の中にあるのは耳!)。

(いつものごとく、少し話がズレる気がしますがココからが本題!)香りを「聞く」という表現の中で、その本で「見る」と「聞く」の違いについての面白記述を発見。

「みる」と「きく」の違いは何かというと、「みる」器官(目と口)は自分の意思で閉じることができるのに対し、「きく」器官は自分の意思では閉じられないというところにあります。

顔にある4つの穴、目・耳・鼻・口。
この4つの感覚を「自分の意思で閉じる・閉じられない」で分類すると2つに分けられる。

自分の意思で閉じられる目と口。
自分の意思で閉じられない鼻と耳。

思えばスッと「閉じられる」まぶたと唇。
対して、耳と鼻はどちらも手や道具を使っても完全に断ち切ることはなかなか難しい、こんな事が書かれていました。

見ると聞くの違い。
受動的か能動的か。
受け身か責めか。
(言い過ぎ??)

閉じようとしても閉じられない、嗅覚と聴覚。
嗅覚は最も原始的な感覚といいますが、自分の意思では閉じれないほど、生命に関わりのあることといえるのかもしれません。

焦げくさい、腐ったニオイ…。
五感の中で、視床を通らず大脳に直結するのは唯一嗅覚だけ。理性を通らず「反射」するのは、それだけ生命に関わる重要情報だからなはず。ある意味、香りで人をコントロールすることもできるのかもしれない。

逆に、目と口は分かりやすく「目に見えるもの」を感じる感覚とも言えるのかもしれません。視覚優位社会、人は見た目が何%との言葉もありますが、実は「目」を騙すのが一番簡単な気もします。

香り音も
見えない何かを「聞き」分ける。

見えないものを感じる感覚。
空気の揺れを感じるところ。

耳をすます、嗅ぎ分ける。
ちいさな刺激を「聞き」分ける。
見えないゆらぎを感じるところ。

 

星の王子さまは「いちばんたいせつなことは、目に見えない」と言っていましたが、これは私の好きな言葉。どの感覚器が優れている、どの五感が1番だ、という話ではありませんが、強い刺激ばかりでは感覚もマヒする鈍る、そんな気がします。

耳鼻咽喉科があるように、物理的にもつながっている耳と鼻。だから昔は、大雑把に一つの感覚「きく」として扱われていたのかもしれません。

または。
現代はすべてが細分化されすぎて全体像が見えづらくなりすぎている、個々に分類されすぎている、その一環なのかもしれません。

 

音を聞く、香りを聞く、目利き、味利き、気が「きく」…。
「きく」という言葉には、表面上は見えないものを捉える感覚を捉える意味があるのかもしれない、、、。

と、数学のように有無を言わさぬ絶対的な答えを知らない状態だと、一つのことでも自分フィルターを通していかようにも解釈できる。面白いなぁと思います。

 

※引用:『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』安田登(著)、ミシマ社、2013年、P.47(l.5-l.7)

※サン=テグジュペリ『星の王子さま」のセリフ