サーカスの象的だった身体感覚を取り戻す。ふんどしパンツと布ナプを使ってみて

幼い頃、足を鎖でつながれて
痛かった動けなかった。

そうして大きくなった
サーカスの象。

鎖が怖くて動けない。
痛くて怖い
そんな気がして動けない。

(もう、鎖はないのに。)
 
たとえ鎖があったとしても
それを破れる力さえ
持っているかもしれないのに…。

有名な「サーカスの象」の話。
心理的なことを表現する時の比喩として使われることが多いと思います。

でもこれって、心理的なコトだけでもないと思う最近。
もっと具体的で身体的なカラダの反応として捉えてみたいと思うのです。

現代生活を送る中で「当たり前」だと思っていること、最初からそうだったから何の疑問もなく受け入れてきたこと。
(現状を受け入れるのと、無頓着になることとは別の話。)

それって本当に「当たり前」なのだろうか。
カラダに取って心地良い選択なのだろうか自然な感覚なのだろうか。

私は、日常生活もままならぬヒドい生理痛になって生理や身体の仕組みについて学ぶ中で体感したことがあります。
今日は、その中でも布ナプキンやふんどしパンツを使ってみたことで分かった身体感覚について、すこしお話。

 

まず生理。
今の日本では、生理になったらナプキンを使うよう学校で教わります。

これで「漏れ」を防ぎますよ。
使ったら「汚物入れ」に捨てましょう。

わたしも、少し前まで「漏れる」のが普通と思っていました。でも、人の歴史の中では実はそうでもないみたいで。
昔の日本人女性は、ナプキンは使わずおしっこをするように調整できていた時代もあったこと、タンポンもナプキンも布あてもなかった頃はそれが「普通」だったらしいこと。

実際に布ナプキンに変えて1年半。
経血コントロールを意識的に頑張っている訳ではありませんが、自然と前よりは調整できるようになりました。

そして、それまでは無頓着だった、子宮が動く感覚、経血が降りてくる感覚も、どことなく分かるようになってきました。

そうしてまた、自らの手で布ナプキンを洗っていると、絵の具のようなキレイな赤色で、とても「汚物」とは思えなくなってくるのです。

 

カラダに敏感になること。
耳を澄ますことで初めて、聞こえてくる音もある。

 

次に、ふんどしパンツ。
「別に鼠径部(そけいぶ)の締め付けなんて感じないし」。最初、ふんどしパンツに出会った時はそう思っていました。でも、いざ使ってみるとやっぱり違うもので。

たしかに鼠径部が締め付けられないのです。
特に、椅子に座った時やしゃがんだ時に分かります。

(あぁ、今までここで締め付けられていたんだ、血が通りにくかったんだ、無意識に身体はストレスを感じていたんだ)

それは、「締め付けられない」を体感することでしか分からない感覚でした。締め付けられることが当たり前すぎて、無意識のストレスに耐えるのが普通すぎて。

自分の感覚が見事に分からないほどに、疑いもしなかった分からなかったカラダの感覚。比較して試してみて、初めて分かった身体感覚。

 

小さな頃からそれが普通だったから。
他に比べる機会がなかったから。

当たり前すぎて受け入れすぎててカラダの声が聞こえない。
そういう事って、実は多いのかもしれない。

「最初からそうだったから」
「それが普通だったから」

でも、だからといってそれを選択し続ける義務はない。
色々遊んで試してみて、自分の枠を、常識を超えてみる。
そうして初めて分かる感覚。

 

「当たり前」の外側に、自分の「心地よい」があるのかもしれない。
「未体験」は、分からない。
枠を出て体感してみて初めて分かるもの。

 

サーカスの象のお話は、ココロの問題だけではないと思うのです。
もう鎖はないのに、あると思っているのは、自分のココロ。

 

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ふんどしパンツ、3作目です。
今回はプレゼント用のメンズ版。

楽天で売られていた商品を見よう見まねで作りました。
ふんどしパンツといっても、紐だと毎回ちょっと面倒。腰の部分がゴムにして、紐を結ぶ手間をはぶいてあります。でも、鼠径部は締め付けないのでふんどし特有の開放感はそのまま。

これを作る前、試作を弟にプレゼントしています。
最初の感想は「意外と普通、違和感なし」。
明くる朝には「ムスコが超元気」(!)。

なるほど!
ふんどしパンツは、女性だけでなく男性にも良いみたいです。
(でも、やっぱり女性用の方が色やデザインを楽しめます。)