美白信仰なぜ物語-4-毒には注意♡鉛白粉に古今東西・五里霧中

17/03/2020

古代から多くの女性を
虜にしてきた白粉・おしろい

つい最近まで その多く
毒ある鉛が使われてきた

鉛の毒に勘づいた人も
いたかもしれない

だけれどけれど美しく
魅せてくれる魅力は魔力

。。。

その毒性から使用禁止となっった鉛(なまり)は、長いあいだ、それこそ何百年もの長いあいだ、日本にてヨーロッパにて、お化粧として女性たちの肌に使われていた素材。

「きれいになりたい」
その想いの歴史は古く、遡ることはきっと紀元前

。。。

白粉はいつから使われていた?まずは世界をザックリと

白粉の歴史は古く、紀元前3000年頃のメソポタミア文明やエジプト文明、アジアでは紀元前1040年頃の黄河文明でも「白粉」の仕様形跡があるとか。

□白粉の原料

古代ギリシャや古代ローマではインドの鉛白粉、秦の始皇帝時代には宮廷の女性が鉛白粉の使用例が見られると書かれた本もありました。

□時代の流行を経ながらも使われ続ける鉛白粉

血を抜くなど病的なまでの白肌信仰激烈時代や、ナチュラルな自然肌色時代など、時の流行で盛衰はあれど使い続けられた鉛白粉。1560年頃のエリザベス女王も鉛白粉を使っていたようです。

□20世紀初頭

その後20世紀初頭には、白粉だけではなく現在のファンデーションのような「肌色」が登場し、徐々に主流となっていきます…

つづきましてジャパン

さてここからは、日本での白粉の歴史を、これまたザックリと…。

日本の「白粉」初登場は、持統天皇の頃(奈良時代、690年頃)。
「日本書紀」には、中国(唐)から帰ってきた奈良のお坊さんが持統天皇に献上した記述もありました。

余談ですが、日本書紀の謎解きも触れてみると面白い。だけれど結局、歴史historyは彼のお話、his story。

□原材料は同じく鉛がメイン

その昔、日本で白粉として活躍していた素材の中心は鉛を酢で蒸した「鉛白」。唐の女性たちの間で流行っていたものですが、女性天皇であるとされる持統天皇はきっと喜んだことでしょう。

それまでは米やアワの粉も使っていたとされますが、以降貴族たちの間で鉛白粉が作られるように。ちなみに、この頃の「伊勢水銀」は公家御用達の国産白粉だったとか。

□水銀白粉と鉛白粉

そうして後、最近まで使われていた日本の白粉はこの2種類。

・「はふに」(鉛白粉)
・「はらや」(水銀白粉、別名「軽粉」)

水銀白粉は、ラメ感のあるちいさな粒子。
なめらかで仕上がりも美しく、高価だったため身分の高い女性をメインに支持されていたとか。

対する鉛白粉は、水銀よりも使いやすくノビも良くて安めだったため江戸の庶民に愛されていた模様。米や粟・キカラスウリ、オシロイバナ等が入ることもあったとか(コスト削減になりそうですね)。

が、鉛も水銀も毒性のある材料。

女性やその子ども等の中毒症状もあり、1900年(明治33)年には鉛白粉が使用禁止、1934年(昭和9年)には製造禁止に。明治時代には無鉛白粉も出ていたようですが、使用禁止以降も仕上がりの美しさから鉛白粉を使う女性も多かったとか。

□(角度を代えて)男性と白粉

日本では、白粉を男性貴族も使っていた時代があります。

有名なのは平安貴族。

彼らは、身分の違いを示す理由からも男性も白粉を使っていたことで知られています(女性と男性が同じようなメイクだった時もあるようで、小学生のときに習った覚えがうっすらと…)。

そして平家貴族の流れをくむ鎌倉時代の武士たちも。
貴族の流れを組む平家の武士たちは、身だしなみとして出陣にも白粉とお歯黒で薄化粧をしていました。

有名なのは、『平家物語』敦盛の最期。
薄化粧とお歯黒が、平家だという決定打となり命を落とす、有名なシーンがあります。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」
盲目の琵琶法師、美少年・平敦盛のメイクを語る

。。。

その後、男性のお化粧は廃れていきますが、公家の化粧文化は、明治まで続いたと書かれてある本もありました。最近では、メンズエステや男性用化粧品も出てきていますね。

一方その頃、農民メイクは…

ここまでのメイクは基本、特権階級のお話。

農民は基本化粧なしのはず。
彼らはきっと、厳しい生活。

「生きる」が至上命題だったでしょうから。

ただし、一般ピーポーの生活水準が上がった江戸時代には、庶民もお米や粟等から採れるデンプン白粉、または薄めた鉛白粉を使った民も出てきたとか。

。。。

 

光り輝くものは、いつの時代も女性を虜にする模様。

そこに毒が隠れてたとて、華やかさには代えられないのだろうか。光に目が眩むとは、まさにこのことなのか(それは私も同じこと。

 

何百年と使われていたもの
だけれどそれには、毒があった

科学技術の発展した
今ならそれは無いことだろうか

人類はそんなパーフェクトなのか

人は歴史を繰り返してる
争いごとは、今もある

悩み事の本質、変わっただろうか
歴史は今日も”作られている”

きらびやかさに、作られた情報に
踊らされてまわるは鉛中毒

のみならず。。。

 

アシタカは「曇りなき眼で見定め決める」と語った。
だけれど「曇りなき」と言ってる時点で、既に判断基準のなかには雲がある。人間だ。

地球と人間、ともに生きられますように。

。。。

ナウシカのテーマ・・・

 

そうしてやっぱり、いつも分からぬは、着地点。。。

 

□参考
『化粧の日本史: 美意識の移りかわり (歴史文化ライブラリー)』山村博美 (著)、2016年、吉川弘文館
『美女の歴史:美容術と化粧術の5000年史 (「知の再発見」双書)』Dominique Paquet (原著)、石井美樹子(監修)、木村 恵一 (翻訳) 、1999年、創元社
『化粧せずには生きられない人間の歴史』石田かおり(著)、2000年、講談社
『都風俗化粧伝』佐山 半七丸 (著),‎ 速水 春暁斎 (イラスト)、 1982年、平凡社

美肌考

Posted by 12