母国語アプリが落ちるとき。デフォルト起動の価値観を整理

ここは日本。
ボーッと電車を待っているとき。

まわりの会話が外国語のよう。

音としては耳に入る、でも
何も聞き取れない自分。

ん??何語…?
母国語の日本語の、外国語感。

(脳内どこかの日本語スイッチを探す数秒)、、、。

日本語脳を、探して起動。
だんだんと聞き取れる日本語。

(この時、急には切り替わらない。徐々に日本語として聞き取れるようになっていく。ぼやぁっとした輪郭がだんだんと形を為していく)。

方言が強い訳でもない普通の日常会話が、ただの音と化す。その時わたしは、日本にいながらにして一瞬、今ココ何処感を味わえる。

ボーッとしながら目覚めてる時。
年に数回味わえるのがこの感覚。すこし面白いので、今日
はそのままボーッとモードで電車に乗り込み思考の旅へ…。

母国語を習得して以来
無意識に使っている日本語脳。

幼稚園では既に、「リスニング頑張るぞっ」と張り切らなくても、その音の組み合わせを「日本語」として見事に聞き取れるようになっていました。

母国語は、常時起動の言語アプリみたいだ。

幼い頃、無意識に立ち上がるデフォルトアプリとして数年かけてインストール、その後毎日微更新され続けている。

そうしてたまに、「ボーッと電車を待つ」みたいな余白時間にフリーズ 又はシャットダウン するのだろう。

。。。

とっさに出てくる、怒りや恐れ。
反射的な気持ちすら、瞬発的に何かのアプリを起動させていただけだった。

「ムカつく・怖い」すら、むかし標準装備した高性能な防具用「身の危険アラーム」が鳴っていただけだった、、、私は結構あります。

ある感情を引き起こすこの価値観
大人になった今も、必要だろうか。

、、、。

不要なアプリは重くなるだけ。
気づくたびに、要らなくなった価値観のアンインストール。

今日もまた、忘れるための
空っぽになるためのアウトプット。。。