凹み怒りのひとり謎解き「その主語:誰問題」
山あり谷ありドラマあり。
物語に欠かせないのは
何といっても「主語」の存在。
誰がどうした・どうなった。
主語が変われば意味変わる。
悲劇が喜劇に、その逆も然り
それこそが主語。
人類はじまりの言語。
私はそこに「主語」は無かったはずと
まこと勝手に思っております。
「主語」が生まれた
「私が」が生まれた
「我」が生まれた
そのとき同時にあらゆるものの差…
も、生まれているのかな。
私があなたが彼が彼女が。
私と他を分断するもの。
だけれど本当にそうだろうか。
私は自分の「ことば」を振り返る。
数年前のアレ、数週間前のアレ。
強くつよく主張したこと
実はそれこそ そのときの
私が私に一番言いたいことだった。
誰かに・社会に・出来事に
思った放った言葉たち。
攻めや嘆き、防御のためでも攻撃的な言葉を敵だと思って放った、それらの言葉の主語をすべて「わたし」に置き換えてみる。
そして私の中を見つめる。
自分の中に、同じカタチをしたものはないか。似たような構造はないか静かに自己を振り返る。
すると出るは、本因たち。
あれはまさか自分自身に
話しかけていた言葉。
身体を楽器に鳴る言葉。
一番響くは自分自身。
悩んでいたことその問題が、本当の意味で解けたのは(まわりが変わった時ではなくて)その言葉を対自分として、しかと見止めた時だった。
ナニカの誰かの気になる所、イヤな部分。
反応するのは私も似たようなものを持っているから。矛先のソレに自分の認めたくない何かが反射して見えるのかもしれない。
その主語:誰問題。
この数年、凹んだとき、誰かや何かに怒りや憎しみが湧いたときに、ひとりで取り組む問題集です。ほとばしりが冷めたあと、書き出したことばの主語を「私」に置き換えかえりみる。
高校時代の古文テストにはよく「この主語誰?」問題が出ていましたが、、、
思った・捉えた・キャッチしたということは、自分の中にもあるもので、自分の中に皆無な思想は、捉えることすらできないような。。。
写真は最近覗いた万華鏡。
何かが映り込めるは反射できるのは
共鳴…
がきっとどこかにあるのかな。。。