「当たり前」の前物語。

家庭菜園一ヶ月。
つぼみが、ふくらみ始めました。

スナックエンドウ。
食べたことはありますが、つぼみがうつむきな事も、白い花を咲かせることも知りませんでした。

目に見える速さで毎日伸びること。巻きつく先を求めて、ツルがぐるぐると彷徨うこと。太陽の方へと身体を動かすこと。個体ごとに成長度合いが全く違うこと。一ヶ月で花を咲かすこと。

書けば、とにかく当たり前。
知識としてはあるけれど、どれもが新鮮で驚きで、可愛いなぁと毎朝しみじみ見ています。

種は可愛い赤ちゃんだから、この分だと、ちぎって食べることに気がひける気しかしません(でもそれが、食べるということなんだなぁ、、、)。

命を繋げる種がある、ということ。

。。。

最近、身近なことを全然知らなかったことに驚いています。
食べ物のこと、身にまとうもの、毎日触れるもの、お店で見る形になるまでの物語。

当たり前にあるもののことを全然、知らない。
種からの物語を知っていくほどに、「当たり前」はとても、当たり前じゃない事の積み重ねなのかもしれないと感じています。

(遠い昔の遠い国。大局を捉え切れず暗記だけした、幾つもあるはずの “his story” や、美しさが分からずこれまた只の暗記項目と化した方程式は、今どこへ。。。)

同時に、一番身近な自分自身を知ることすらサボってきたことにも気がつく最近。

何が好きで何がキライか。
どんな時に嬉しいか。

私は長いこと、常識や損得、人目や見栄に気を使ったそれらをなぞることに必死だったようです。

いま、朝起きがけの植物観察の数分は楽しみのひとつ。
同じ日に蒔いたサニーレタスや増えるアブラムシのことは、また追々…。