超個人的「学ぶ」の定義。早朝散歩の香りきき

朝の香りが大好きです。
街中でも感じられる草木の香り。

日が昇り切るに連れ
消えていくのも好きなところ。

。。。

今朝は早起きできたので
街が起きるまえ早朝散歩。

暑い季節になってきた。
だけれど朝はひんやり涼しい。

四車線ある県道沿いに
いつもの池の 公園めざす。

。。。

今朝は花がどこか小さい

しゃがんでよく見る
花たちみんなが半開き

あぁ、そうか
花は毎日閉じるんだ

今はちょうど、開き途中
(半開きの花もかわいい)

。。。

細長い葉っぱにキラキラ水滴

昨夜から雨は降ってないのに
なぜか水滴、、、

あぁ、これが朝露か
あちでもこちでもキラキラキラ

視線がどんどん先をゆく

。。。

カァー、カァー
朝の縄張り宣言か何か

カラスの子どもの鳴き方を
聞き分けられるようになったかも

ツバメはそろそろ巣立つ時
きびす返しも見事にキメてる

。。。

最近は、植物や鳥を観察しながらの散歩が好きです。そこには、新鮮な体験や感動できることが散りばめられているからです。

花は毎朝、開くこと。太陽とともに閉じること。朝露があるということ。ツバメのきびす返しのシャープさ加減。

そんなことは、どれもとっくの昔から知っていたこと。見たことも聞いたこともある、ぜんぶ頭のどこかにある情報。

それなのに、めんどくさいほどいちいち感動してしまう。何なら一人で、地面を見ながらアレコレブツブツつぶやいています。

見る側の私が変わると
世界が違って見えてくる。

”情報”として知ってはいても、感動したのは生まれて初めて。自分の中に落とし込めたのだって、やっぱり生まれて初めてなのです。

それを私は、「知らなかった」と呼んでいます。(というより「忘れていた」か。。。昔ちいさな子どもだった頃、一度すべてに感動したはず)

情報だけの知識は無いも同然、体験して感情を伴って初めて、自分の中に落とし込みができる…ような気がしてます。

落とし込み作業は何度でも。
学ぶほどに掘るほどに、忘れる度に違う自分になる度に。

「当たり前」の背景が透けて、新しく見えて感動できる。そうして私が知らない更なる奥は、さてはどこまで続くのか。

「学ぶ」の定義は辞書にある。
だけれど私の定義は別で「普通の毎日に感動を増やすこと」にしておこうかな。

。。。

公園を出ると大通り。
途端にツンと鼻に排ガスのニオイ。

「当たり前」の奥を知ることは
感動ばかり、だけではない。

闇も同時に広がりますが、立ち位置変われば闇即光、学び続けたいなと思うのです。

暗いところがあると、光は、とてもキレイに映るのです。