ナス讃美 ー 個性的な植物たち

すこし間の抜けたナスの姿
愛らしいなと思います。

ふにっと曲がる 独自のフォルム
寝癖の残る ヘタ部分

妖艶に光る紫紺色なのに
見た目に反して持つと軽い

擦り合わせるとキュッキュとする音
淡白な味で色んな食材とも馴染む

リンゴ程の洗練さはなく、じゃがいも程は無骨でない。さくらんぼ程のキュートさはなく、正義のマントが似合いそうなトマト程の王道さもない。

だけれどとにかく憎めない、不完全さが愛らしい。
かれこれ10年来くらい、非常に適当なナスのファンです。何をするでもないですが、夏が来るころ思い出し、軽く叩いておちょくり愛でる。

今回は、写真撮影もさせてもらい。撮影後には、切り焼き食らう、残虐すぎるファンなのですが、、、。

。。。

ナスだけではなくどの動植物も。
とても個性的だと、最近気がつき始めています。

公園散歩で見えてくる、知識で曇って見過ごしていた独創的なカタチ達。今までは、全部まとめて「植物」だと見ていましたが、観察するほど違いが見える。

青い緑、黄緑、緑。
緑といってもみな違う。木肌はホントに ”茶色” だろうか。茶色一面塗りたくっても、木々の色には近づけない。

自身のチカラで一直線に天へと背丈を伸ばすもの、地を這うように広がるものや、他の命に絡みながら大きくなるもの。

細長く鋭利な葉っぱ、まるまるふわふわしている葉、放射状に広がる穂先、キリリとネジ巻き花咲かすもの…。

色も形も大きさも。違いはそのまま、植物たちの智慧の現れなのだろうか。集まる動物、持っている毒、殖える方法、生き残る術…。

姿形の意味をひとつ、知るたび小さな驚きがある。違っていること一つひとつに、きっと私の知らない意味が潜んでいるのだろう。

ナスの紫、トマトやスイカの鮮やかな赤。
夏野菜が持つ強い色の訳、それらが私の内側からの紫外線ケアにもなる意味はなぜ。

答えはとっても簡単で、自然なことな気がしています。そもそもそれは、私のためでは全然なくて、植物自身を守るためにあるものだから。

科学が ”発展”、ナゾが解明されるほど、植物たちの賢さが分かり私は敬意を抱くのだろうか。否、知識ではなく体感で、感じていきたいところです。

。。。

私は「違い」に美しさを見る。
違っていること、その間-ma-の一部を素敵だなぁと思うのです(すべてが等しく同じなら、私は何に感動できる)。

きっと全ての生き物が、そのままそれで個性的。私が苦手なことだって、誰かにとっては楽しい娯楽。誰かがキライでできないことで、私が萌えることもある。

凸凹しているパズルのピース。
みんながのびのび凸凹できたら、平和かなぁと思ったり。

そうしてまた、植物の名も特性も、全くほとんど知りません。かわいい雑草図鑑を買おうかなと、この夏の予定。。。