侘び寂び文化のやさしさに救われる

侘び寂び文化
素敵だなと思います。

前の記事で書いたのは、豊かな自然と共存できそな、美しい肌でいるための私の実験方法。

しかし一歩、引いてみる。
そもそも美しさとは何だろか。

目的違えば、答えも違う。
そんなものは人さまざま。時代・価値観・経験などが反映されるは百も承知で、女性的としての在りたい美しさを考えるとき。

侘び寂び文化は、私にとても優しい。

子孫を残すため・よりよい遺伝子をつなぐためだけの美しさであれば、哀しいかな、頂点は生殖適齢期なのだろう。しかし美しさを求める女性としては、それだけでは切なすぎて救われない。

生きる目的は「美」だけではない。
だけれど私は色んなモノ・コトにあるそれにチカラをもらう。自らにも求めたいと思ってしまう。

そこで出てくる侘び寂び文化。

◎侘び
落ち込んだときや寂しい心情のなかにある美しさ(精神的)

◎寂び
色あせ寂れたなかにある美しさ(視覚的)

華美さや豪華さ華やかさ
それらと対局にあるものや、逆方向へと向かうものの中に美しさを見い出しす文化。

なんてなんて、大人女性に優しい文化。。。
(侘び寂びの本質を捉えられる域ではないですが、私はこんな風に捉えています。)

しかしここでまたふと、立ち止まる。

年齢と美しさ。
基準はさまざま、人によりけり。たいそうに侘び寂び文化を持ってはきたが、シンプルに自然を見れば。

秋の落ち葉、キレイだなぁ
枯れ木の冬の静かな美も好き
数百年の大木をわざわざ見にいく

年齢重ねて美しいものが、自然界にはたくさんだ。毎年の枯れゆく秋は一番好きだし、シーンとした冬の静謐も好き。

木々がだんだん紅葉するのも、ハラハラと落ちるその瞬間も。地面の上で数週間かけ色あせトーンが落ちていくさまも、驚くほどキレイだなぁとしゃがんで見つめる。

年齢にダメ出しをしていたのは、結局誰より私自身。まだ枯れる年齢ではありませんが晩年は、美しく枯れゆきたいなと思うのです。。。

最後に、すこし余談。
使うのを忘れ放置された野菜の末路は2パータンとか。

「枯れる」か「腐る」。

枯れる野菜と腐る野菜。
それらを分かつ理由は、育ち方(栽培方法)にあるといいます。そうして私はそれを、自身に重ねるのです。

だから前記事的な美容法に繋がるのですが、なにやら年はじめにも、やさしい伝統芸能の話。

(過去記事)
>>恨み辛み嘆き悲しみ咲く時に♡オススメの伝統芸能。黒い気持ちの扱い方

暗い話もありますが、芸能や何かに感動することに、生きるチカラをもらうのです。。。