深堀りすると不思議?な言葉たち:自然派・地球に優しい・ゼロウェイスト・エコ・エシカル

21/03/2020

自然派・地球に優しい
ゼロウェイスト・エコ・エシカル

どれも私が取り入れている
意識している好きな生き方

 

分かりやすくて伝わりやすい
だから使っている言葉

だけれどすこし立ち止まれば
なかなか不思議な人間言葉

 

私が生きよと生きていると
確実、自然を壊してる

持続可能やエコな暮らし
突き詰めるなら先住民

土着文化のサスティナブル度

。。。

(本日の記事はすこし ブラックモード、だと思います・・・

。。。

シャンプー&リンス&歯磨き粉は高校生で止めた。
お風呂はもう10年程はタモリ式・福山式・入浴法(ローラも?)。何も知らないとアレですが、是非にググってみてください♡

メイクは始めた頃からずっとノーファンデが当たり前だし、ケアも最小限。少しずつ湯シャンチャレンジ10年程にて最近やっとマスターできたかも???

この数年でシンプルケアも突き詰めて、今では恐ろしレベルなナチュラルメイクですべてお湯落ち、おまけに生分解性100%(詳しくは美容カテゴリ)。

美容も好きだけれども方向性の問題で。
ぬる系つける系より、食べ物・睡眠・運動・環境、基本をしっかり固めたいし、そっちにお金を使いたい(湯水のようにお金があるなら違った方へ行っていたやも。

外食月1ないのは普通、学生時代から基本は自炊や弁当(カフェは大好き)。そもそもストローは使わないし、マイバッグや水筒もずっと当たり前。

ナチュラルクリーニングもこの4年程でずいぶん学んで実践中。化学物質なしのお風呂はヌルヌルしなくて楽ちん。

お皿洗いも食材よければ水だけでほぼキレイ。お米やパスタ、炭水化物が溶けたお湯で洗うと尚キレイ(油モノはさすがに無理

加工品は健康と美容のために昔から最低限。
ラップや最新◎◎、結局身体のことを思えば私は「昔ながら」に近いものを、比較的には採用している方だと思う。

輪ゴムや衣類のゴム系ひとつ取っては見ても、だんぜん”紐” のが長持ちする。最近のモノ全般、寿命短くなる研究もされていたり(「計画的陳腐化」だといい称賛や取り入れられる経済システム)。

それはそうだ ”仕方ない”。

資本主義経済まわすため、日々食べるために、家族を自分を守るために、みんな必死に頑張っている。だけれどそもそもその枠組みを見直す時期と、枠組みが存在している地球の存続的な時期…はとうの昔に過ぎているのかも(※考え方が基本くらいのは昔から・・・)。

おしゃれは好きだけれど、手持ち9割リサイクルショップや古着(もとより古着にハマったことがあるのと、予算の問題ももちろんあるけれど。洗剤・芳香剤激しすぎるお店は厳しいけれど…)

気に入った服を5年10年使うは特筆事項ではないし、布ナプも生活も板について、本腰入れて目指しているのは、布ナプすら不要なレベルの ”経血コントロール”。できたら非常に楽な生理となりそうです。

お金の許す範囲でオーガニックな生産者さんや応援、地元企業を採用。

エコと経済の流れも切っては切れない関係で。回り回ってやっぱり大企業よりは地元かつ地産地消、昔ながらの地元商売、究極エコよりと思っている。フェアトレードやリサイクルだって少し掘ると闇はすぐに見え隠れ。※すべてがそうとは言っていない。

コンポストやバイオトイレ、オフグリッド系はまだまだだけれど、これからシフトしていきたい。今は未だ量り売りまで徹底はできないし、ゼロウェイストも全然ゼロには遠いし自給自足はなおさら全然。

どれも完璧とは程ほど遠い。
だけれどホントに普通でそれらから無縁な人からしたら、”自然派” の基本レベルは高めなのかもしれない。

だけれどそれらを頑張って努力することなのかもナゾ。私はやりたくてやってるけれど、それはコスメ好きな人が新作コスメを試す感覚のような。広まればいいとは物凄く思うけれど、今現在2020年、もう手遅れで強要もできないレベルな気がしてる、(あ、考え方がくらいのは私のベース・・・。

。。

ヴァァァ・・・っと流れ書いてはみたものの。
持続可能・エコな暮らし・自然に優しい・サスティナブルな暮らし方。

これらは私が生きたい方向性だし好きな言葉。
今も昔も実践中で、これからも進化×深化していきたい。ベクトル矛先向いてます。

だけれど同時に思うのは、それらの言葉が持つ矛盾。
真に実践できているのは土着のネイティブ民族だけなのでは、ないだろうかとすら思えてきます。

(ホントにそいう生活を、している人達からしたら。そんな言葉は使わないし、価値観すら 無いんじゃないのか。彼らにはゴミなんてものは無いし、持続可能なんて当たり前過ぎ、わざわざ取り上げることがそれ自体、言葉を作ること そのものが、意味不明すぎ、なのではまいだろうか)。

だけれど私のいまの暮らしでは、それはできない。
今風な小綺麗カフェは大好き、PC仕事、駅まで遠い場所はちょっと…と思う便利な名古屋育ち、エコな暮らしといっても手すらつけてない部分は多い。

やっぱり私は、地球に自然に迷惑かけて生きている。
植物を動物を、生き物を地球をまるで、破壊しながら食べ尽くしている、のだろうか(字面通りな畜産の闇とかに限定した話でもない)。

何かや誰かと比べたら「多少は持続可能より」かもしれない。けれども突き詰めてみたらどうなのだろう(だけれど自死はまた違うと思うし、したくない上するつもりなし)。

 

そんなことを思いながら、私は自分勝手にやっぱりそっちな生き方をする。

「地球に優しい暮らし」とはなんて人間的な、”文明的で文化的な” 言葉だろうか。

What a human!そんなの言い出しはじめたのなら、それはそれは、キリがない。そもそも「言葉」の存在そのもの、そういう類な気はしてる。

”やさしい” のは、いつだってずっと明らかに。
地球の方で、ただただずっと、そう在り続けてる。

非常にとても、当たり前なこと。
だけれど何やら常々思っていること、散らし散らして流れ書き。

 

。。。

いやしかしまてよ、
というかそもそも残念なことに。

私の考え方はといえば。
健康や美容のことを真に考え突き詰めたなら、ゼロウェイストとかエコな方へ自然と行ってしまった、そうなのです。

私の場合、それらは自然や地球のためというより、常に常に。「自分の美容と健康、暮らしのためのエコ」という、まさにエゴ、ものそのもの。。。。(だって私の家は地球、美を作る要素も私を形作るもの、すべて地球のものから成っている)。

何かを選択したら裏では=何かを捨てているということ。見方の問題といえばそれまで、でもなにか先鋭的で高度に文明的なものを選択するほど、真逆も先鋭的にとんがってるはず。常に何かのリスクを選択してる、新しいほど見えにくいそれは、鋭く未知だと思っている。

。。。

もはや ”やさしさ” 問題でも何でも無い。もとよりあった自分勝手な身勝手具合が明るみになっただけの話。ヲチに落ち着き行き場もなくなり、本日はもう、おやすみなさい。。。