ことばの前。言葉になる前その一瞬の、純度しかないその瞬間

何かを「考える」とき。
普段わたしは普段「言葉」を使っています。

でも、何かを「感じる」とき。
そこに言葉はありません。

ハッとしたその一瞬。
何ともいえない状態。
ん??とハテナが飛んだ時。
面白くて、ただただ、涙が出るくらいに笑っている時。
顔が赤くなって震えるほど怒っている時。
悲しくてかなしくて、ただただ、泣くしかない時。

 

一瞬。
真っ白な、とき。

 

大きな衝動を「言葉」にするのは、そのあとの(押し込み&探す)作業。
表現するため、伝えるために。
この感覚は、なんていう?どうやって例えらいい?うまい言葉が見つからない。モヤモヤするよ。ほんっとうに感動的でねっ!ヤバイの、ムカつく。あ・り・え・な・いー。わかる??だからー、ちがうの。そうじゃなくて。

 

・・・。

 

感動そのもの100%を、まるっと伝えられる「ことば」って、なかなかありません。
言葉の枠に、無理矢理にギュウギュウに押し込めなければいけないこともある。はたまた、伝えたい意味合いがカスってしかいないのに、その言葉しか適当なものが見当たらない時のやるせなさ。語彙力の少なさ。

言葉の無力さ。
ほんとうに大切なことって、言葉にすると文字にすると、なんだかとっても安っぽい。(←→だから、すっぽりと落ち着くことばを見つけられた時はとても興奮する。)

 

言葉の定義でさえ、人それぞれに違っています。

仮に、100%を表現できる言葉があったとしても。
それがそのままストレートに相手に伝わるのかは、ナゾナゾだらけ。相手のフィルターはいります。

「リンゴ」と言っても
私にとっては「おいしいリンゴ」。
彼にとっては「食中毒にあったことがあるリンゴ」。
(イメージの良し悪し、前提条件がちがう。)

「好き」と言っても
私にとっては「ひととして好き、異性としては別」。
彼にとっては「異性として好き、愛の告白」。
(俗にいう”勘違い”。悲劇となるか、喜劇となるか♡)

 

だからこそ、面白いと言ってもいいのだけれど。
言葉がすべてじゃ、ない。
ことばだけじゃ、全然たりない。
ことばだけの必要も、全然ない。

 

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「はじめに言葉ありき」?
感情、感動、情動。
自分のカラダをよぅーく感じてみる。

 

ことばの前。
言葉にする前の、感情だけの
目には見えない塊(かたまり)部分。

 

ことばになる前、その一瞬が
ヒトを、突き動かしている。

大きな情動なら、その一瞬だけで。
何年だって、動けるのかもしれない。
強力で衝撃的な一瞬なら。

 

時間軸で見たら、小さなちいさな一瞬。
でも、大きなおおきな、エネルギー。

ことばではなく、ただただそれを。
言語化する前の、抽象的な、純度の高い、気持ちそれだけ。

 

もっと、カラダを。
身体感覚を。