空白余白、無駄なこと♡それらは豊かで美しいもの

広告をつくる仕事をしていたことがあります。
最初に伝えたいこと訴えたいことがあって、それを伝える手段の一つとして広告やチラシを選んだら制作に入ります。

お知らせしたいことが沢山あると
アレもコレもと、たくさん掲載したくなります。

広告に、白い部分=余白があると「もったいない」からと、言いたいことすべてを載せたくなります。でも、すべての余白を埋めたら本当に伝えたいことが目立たず、分かりづらくなります。

 

一番重要なことは何だろうか。
(優先順位、捨てること)

 

すべてをぎゅうぎゅうに押し込んでいたら、何が何だか分からない。もしくは、必要以上に騒ぎ立てないと目に止めてもらえません。
そして大げさに騒ぎ立てると、「美しさ・余裕・洗練さ」からは離れていきます。

 

 

インテリアも、ぎゅうぎゅうに詰めすぎると野暮になる。
高級な場所や洗練された場所は、やたらと天井が高かったり”実用的”でないモノが置いてあります。

音楽もそう。
いつも音が鳴っているだけの音楽に、魅力はあるだろうか。
音が止まる時があるから、他の音が、より生きてくる。
(歌なら、休符がないと息すら吸えない。)

お洒落も、すべてを飾り立てて主張したらうるさくてたまらない。
お料理も、メインディッシュを連続されたら正直閉口してしまいます。(加えて、飲み物やつけ合わせまでコテコテだったらうんざりだ)
胃だって、まだ空きスペースがあるからと食べ物を詰め込んだらどうなるだろう。

 

空白をつくること。
余白をつくること。

 

隙間があったら何かで埋める。
デットスペースは有効に生かせないだろうか。
空き時間を効率よく使うのがカッコイイ。
すべてを有効利用するのが賢い選択。

まだ何かできる。
まだ何か置ける。
一切の無駄をなく。
実用的に合理的に。

これらは時に必要かもしれませんが
求めすぎるほどに、「美しさ」や「洗練さ」とはかけ離れていくと思うのです。

 

時間を、空間を、気持ちを、
無理に埋めようとしないこと。

 

余白、遊び、無駄、空白。
美しく気持ちよく・人間らしく生きるためには大切なこと。
(どれだけ取るか、その基準は「気持ち良い」と感じる感覚で、それがその人独自の「センス」へとつながるのかもしれないですね。)

 

余白の大切さ。無駄なことの大切さ。
まるまる一つの記事を使って大真面目に色々な例えを出しながら書いてみましたが、私が言いたかったのは…。

生理痛かつ軽く人生に疲れたのに、すこし「休む」こと・立ち止まることにすら罪悪感を感じるわたしがいるということ。

壮大でもっともらしい言い訳?をしながら、一度は精魂尽きたとしても。
まぁそんなこんなもでそれもまた、楽しくて美しい「無駄ごと」、なのかもしれません。。。♡
(ショートコント・神々の遊び、、、?)

 

(余談)
でも、機能美を追求してかつ美しさもあるモノもありますよね。柳宗理さんの民藝とかドイツのキッチンアイテムとか、、、それはソレで痺れる!
…この話は、機会があれば、また今度。