音楽は、美しさは、どこにある。

音楽はどこ
どこにある。

ひとつの
音だけ
和音だけ

それだけ鳴ったら
音楽なのかな。

 

音と音のあいだ
音符と音符のあいだ

「あいだ」に
「音楽」が鳴る。

「あいだ」はどこにある。
空間、時間、私のこころ。

 

音と音。
の、その「あいだ」。

あいだを人が見つけたときに
誰かがつないで聞いたとき

その時その人の中に生まれる。

音楽はどこ。
目では楽譜で見えないところ。

 

影を描くと
浮かんでくるのはモノの形。

デッサン。

明るさ暗さ、色の違い
比べて見えるは、そのものの形。

一つの色しかない世界なら
何色かさえも分からない。

比べて初めて
美しくなる。

 

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毎日、何を
見聞き香っているのだろうか。

そのものなのか
まわりなのか
あいだ、なのか。

。。。

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ピアノを弾いているとき。

たまに、とてつもなく魅力的なフレーズや和音に出会うことがあります。和音の変化や音の運びが感動的で、何に惹きつけるのだろうと何度も部分だけ弾いて、心の動きを観察してみます。

すると、音と音の「あいだ」の部分に感動しているのだと気づきました。ある和音からある和音へ移動する時、その「あいだ」、 音の「差異」。そこに、私の感動はありました。

一つの和音だけで鳴らしても感動はなく、他の和音から移動しても感動はない。その和音とその和音が隣り合った時に生み出す特定の「違い」。

違いが、魅力の正体でした。
それは、どちらかだけでも、他との組み合わせでも生まれないものでした。

 

初めて鉛筆で白黒の本格的な「デッサン」をした時。

描いているとき思いました、境界線ではなく影の濃さを描いているだけだということに。一番明るい所は白いだけ、何も付け足せない。描けるのは「影の濃さ」。

闇の「濃さ」を描くことでしか、影に濃淡をつけることでしか、対象は見えてきませんでした。(僅かなグラデーションでモノの輪郭を描き出すその時、モノの境界線はどこからどこまでなのだろう。)

 

現代美術展で、あまりに感動した「白一色」のキレイな展示。
何がそこまでキレイなのかと何分間もある部分だけ観察していると、絶妙な濃淡の違いが美しさを作っている一つだと気がつきました。

「白一色」とはいえ、影が作り出す微妙なトーンの違い・グラデーションはあります。光り輝く部分を際立させているものは、グレーや黒。

言葉にすると、当たり前すぎて軽くなって悲しくなるのですが、それは言葉のあやで、仕方がない。

それでも少し、納得したのです。。。